1956年 ABWU 準備委員会
開催地:天城山荘
日 時:1956年4月4日〜8日
参加国および地域: 9 ビルマ(ミャンマー)、マラヤ(マレーシア)、フィリピン、香港、台湾、沖縄(当時米国による沖縄統治)(日本)、韓国、ハワイ(米国)、日本
参加人数: 49名
アジア9カ国から19名と日本から30名が参加しました。マーチン会長の指導のもとに、アジアバプテスト女性連合(ABWU 当時の名称は東南アジア太平洋女性連合)が4つの目標を掲げて誕生しました。
目標:1.世界祈祷日を守ること。 2.毎年1カ国について学ぶこと。
3.書簡、機関紙などで情報交換をすること。 4.国内の女性集会を開くこと。
1955年に日本で、アジアバプテスト女性の最初の会合を開くことを知ったアジアの女性は、「世界中で日本だけは行きたくない国だ。」という反応でした。戦時中に日本軍の残虐行為の犠牲になって、愛する肉親を失ったアジアの人々の憎悪、疑念、許しがたい感情が女性たちの心の中にも渦巻いていました。しかし大いなる聖霊の力が彼女たちの心の奥深くに強く働きかけていました。
J.ルイズは、「東京から天城まで細くて凸凹な道をチャーターバスで9時間かかり、やっと最後の曲がり角を曲った時に、美しい色とりどりの着物姿の日本女性が、手に「WELCOME」と書かれたポスターを持って、笑顔で迎えてくれました。これは風変わりな、でも素晴らしい暖かい「おもてなし」でした。全く神様ありがとう!でした。」と書いています。
また後になって彼女は、「英語が話せない出席者と身振り、手振り、笑顔、抱擁そして通訳者の助けでお話をして、お友達になれたのはとても楽しく忘れられません。」と思い出していました。
ABWU初代会長になったR.バファローは、「最初の集まりが日本で開かれたことは、驚くほど意味のあるものでした。戦争の暗闇で壊された友情の絆を、取り戻し和解が得られたのです。ここで再び人知をはるかに超えた神の愛は、最後には勝利をもたらすことが、明らかになったのです。お互いに祈りと努力を持って友情を育み、私たちの内に燃える、神の力強い聖霊の炎を燃やし続けましょう。」と書き記しています。
日野綾子は、「この大会の一番の大きな意義は、過去の戦争の耐えがたい経験により引き起こされた憎悪の念を、和解に変えた集まりとなったことでした。もう一つの意義は、初めて他のアジアの主にある姉妹たちと会えたことでした。この歴史的な集まりは「キリストにある和解の会」と呼ばれるでしょう。」と書いています。
E.ウォンは、この大会は本当に恵まれ、意味深いものであったと思い出していました。恵みを分かち合い、新しい友人を作り、一緒に神の愛を賛美しました。そして静かな証の時を迎えました。
一人の美しいフィリピンの女性が立ち上がり、話し出しました。「妹が戦時中に日本兵に殺されたので、私は日本のこの会には来たくありませんでした。しかし今は来てよかったと思っています。というのは、日本の姉妹たちを愛することを学びましたし、お友達もたくさんできましたから」。他の姉妹が立ち上がり、話し出しました。「私も同じで、息子が日本人に殺されたので、この会には絶対来たくありませんでした。でも、私も来てよかったと思っています。日本の姉妹の皆様には感謝していますし、好きになりました。」3番目に話したのは、美しい上品な日本の高齢女性でした。すーっと立ち、涙で頬を濡らしながら、言いました。「どうぞ私たちの父を、兄弟を,伯父を、従兄弟をそして息子たちを許してください,彼らが戦争中にやったことを、許してください。私たちは今ここにいる皆さまお一人お一人と主イエスキリストの故に、ご一緒に手を繋ぎたいのです。」その会に出席していた全員の眼は涙に濡れていました。神様はまさにそこに実在しておられました。
出席していたマーチンBWA女性部会長は立ち上がり、「この会は私の思いをはるかに超えたものでした。私たちの主は、今ここに、この部屋に、私たちと一緒にいてくださいます。神は私たちの心を溶かして一つにし,愛する友人としてくださいました。私たちは私たちの主,イエスキリストの同労者です。主と共に活動しましょう。」と述べました。