ABWU創立に至る背景


長年にわたりバプテスト指導者たちは、世界のバプテスト信徒との親密な交流を図りたいと模索してきました。やっと1905年の7月に世界バプテスト連盟(BWA)が英国のロンドンで誕生し、219名の女性も参加しましたが、女性だけの会合はありませんでした。

第2回BWA大会が1911年に米国のフィラデルフィアで開催され、3,000名の女性が出席、午後に女性だけの会合を持ち女性会が創られました。

1923年 第3回大会がスウェーデンのストックホルムで開催され、女性のための特別な会合が持たれ、女性は渉外役として選ばれましたが、役員としてではなく良き仲間との位置付けでした

1928年 第4回大会がカナダのトロントで開催され、2人の女性、ドイツ人と米国人がBWAの役員として選ばれました。女性が選ばれたことから、女性だけの会合は不要ということになり、女性会は解散されました。

1934年 ドイツの第5回ベルリン大会で、女性こそがバプテストの交流の絆を強める力があると確信していたBWA主事のもとで女性だけの会が計画されました。
BWAの規約を修正して、最低5名の女性役員を設けることとしました。

1939年米国の第6回アトランタ大会で役員会は、女性の出席者数が数千名と非常に多かったために、新しく女性大会の設置を奨励しました。女性役員の精力的な働きと主事からのサポートで女性会が誕生しました。

1947年第7回デンマークのコペンハーゲン大会で世界のバプテスト女性たちは過酷な第2次世界大戦にも関わらず、心は一つに結ばれました。しかし、女性大会も役員の選挙も行われず、女性大会の未来は3名の役員、E.ブラウン(英国)、G.R.マーチン(米国)、E.ベイツ(カナダ)に託されたのです。

1948年に開かれたロンドンのBWA運営委員会の席上で、女性委員たちの働きが活発になりました。G.R.マーチンが女性部の会長に選ばれました。

この年ヨーロッパのバプテスト女性たちは、世界大戦中に生じたお互いの心の傷を信仰と祈りで埋め、友好の絆を更に深めようとヨーロッパバプテスト女性連合を組織しました。
これに刺激された英米の女性役員、特に南部バプテストのG.R.マーチンの強い指導力の下に、6大陸に女性連合を作ろうという機運が高まりました。
こうした気運の高まりの中で、この年からバプテスト女性世界祈祷日が始まりました。